ひだまり泥んこ日記*2巻

ヒロシマ安藝地方 矢野という地で里山を駆けまわり泥んこにまみれる保育園の園長戯れ言ブログ 1巻はYahoo!で継続中

夢の中で彼が私に話し、私が目覚めて思うたことども。

先日担任している子の夢を見た。
まぁ、夢で仕事をするのはいつものことなんだけど、
この日の夢については よくよく考えさせられた。
その子は 障害を持っていて、まぁ、軽いとはいえない障害で、
まだ私たちが使っている日本語は あんまり話せない。
「あい」とか「ママ」とか「ババ」とか「いや」とかは言うんだけど、
基本的には「アー!」「バー!」「イー!」といった音で受け答えし、
手話も少しずつ使っているというコミュニケーション方法。
 
その日の夢では、私が話しかけると、彼が突然当たり前に
「ダンジョー、俺、こっちやるけ、ダンジョーはそっちに行っといて」と言ったのだ。
「ふんふん」と返事して行きかけて、仰天した夢の中の私。
その後、夢の中の彼は当たり前に話し続けた。
夢の中で興奮しまくった私は、夢から覚めてもその興奮をひきずっていた。
 
さて。
私はさして彼に「言葉を使って欲しい」なんて思っていないはずだ。
彼の言葉を、彼自身の手で紡いでいって欲しいし、
彼と私たちと共通する言葉が増えたら良いとは、切に思っている。
だが、
日本語を喋って欲しいとは 思っていないはずだ。
いや、はずだった。
でも、私の潜在意識は、彼の日本語を待ち望んでいるのだろう。
彼と日々笑い、けんかし、仲直りし、一緒に歩き、一緒に眠り、
一緒に食事し、一緒にリズムし、一緒に歌い、そうやって暮らしていて、
やはり、私は彼と話しがしたいのだなぁ。
そして、若かった頃には考えられないけれど、
私は、そう願ってしまう自分も、まぁそうなんだろうなぁと受け止めている。
ないものねだり とか
当たり前の希望 とか
そういうのではなく、ただ、やっぱり話したいんだなぁっていう素朴な思いは
やっぱり持っても当たり前だなぁと思うんだ。
その上で、私は夢の中の彼の声を
現実に一緒に暮らす彼に押しつけて求めることはやめよう。
また、いつの日か、夢の中で会話することもあるかもねと思いつつ
現実で一緒に暮らすことを楽しもう。
 
夢の中の会話の話しでした。