ひだまり泥んこ日記*2巻

ヒロシマ安藝地方 矢野という地で里山を駆けまわり泥んこにまみれる保育園の園長戯れ言ブログ 1巻はYahoo!で継続中

禍福はあざなえる縄のごとし

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禍福はあざなえる縄のごとし

ということばある。

幸せと不幸の分量はおなじだよってこと。

幸せのあとには不幸がやってきて

不幸のあとには幸せがやってくるってこと。

 

少し前に読んだ本に二人の女の子が出てきた。

一人はとても美しく才にあふれ人徳もある。

だが、その子は、福の後に来る禍を怖れて生きていた。

きっとこのあと、この幸せより大きな不幸がくるんだと…。

 

もう一人の女の子は、凡庸な容姿で

一つのことに際立った才能を持っていて、

その力で生きていく。

しかし、これでもか!というほど不幸が襲ってくる。

それでも、その子は

不幸のあとにやってくる幸せを信じて不幸の荒波を乗り越えていく。

 

どちらが生きていくときに幸せなんだろう。

生活のなかに小さな幸せを見つけて、喜べる力。

ほんのわずかな変化を見つけて、喜べる力。

その喜びを、仲間に伝え、わかちあう力。

そうした力を 私は身につけたい。

そうした力を 私はこどもたちに育てたい。

育てるまでは至らぬかもしれないが、

そんな考え方の方法を、伝えておきたい。

 

人が大きくなるのは、人を助けるため。

より沢山のひとと幸せを分かち合うため。

 

この頃、私はこどもたちによくそういう。

あんたができるようになるのは、

あんたが楽しくなるためだけじゃないよ。

あんたが力持ちなのは、弱い子の荷物もったげるため。

あんたの足が速いのは、困っとる人を助けに速く行くため。

あんたが楽しいこと見つけるの上手いのは、

みんなを楽しくさせてあげられるけ、素敵じゃね って。

 

こうした言葉は、考えて口から出てきた言葉じゃない。

いつの間にか、本気でそう思うようになったこと。

だからね、これって、私の保育の根幹だとも思うんよ。

このこと、もう少し大切に考えていきたいないうて思うとる。

 

虫と仲良くなろう大作戦-2

毎朝まいあさ

4:40になると「母さん==起きて~~~散歩行こう~~~」と

なきはじめる うちの犬。

おかげで毎朝5時頃から 町内を30分~1時間歩いています。

疲れた体にけっこうハードなのですが

この季節 抜群の楽しみを見つけました。

そこかしこに植えられた柑橘の葉から

むくむくの青虫を探し出し連れ帰るという喜びです。

私は、アゲハたちの幼虫が大好きです。

他の虫に関しては、修行中というしかない段階でありますが、

ことアゲハの幼虫に関しては

毎年 数十匹の羽化を見守る 青虫おばさんなのです。

今日は夕方こどもたちが庭で泥んこをしている時に

飼育ケースの掃除を始めました。

ちょっと油断している内に 20匹近くなってしまい

あっという間にサナギが増えてきたので

明日明後日くらいには 飼育ケースを分けなくてはならないのですが

とりあえず アゲハもキアゲハもナガサキアゲハ

同じ小さなケースにぶちこんでます。

で、今日はちょうどワンダリングに入った子がいて

もそもそもそもそ動いているので

「ちょっと悪いけど、水換えてくるけ、どっこも行かんように

見張っといてえや」と頼んでおくと

こどもたち大喜びで見張ってくれていました。

乳児さん年少さんを中心に

ドロドロの手でつんつんつつき始めていたので

「手に乗せたい?」と聞くと 「うん♡♡♡」と応える人たち。

ちょうどワンダリングくんを 私が手の上に乗せたまま

レモンと山椒を瓶にさしていたところだったので

そのままワンダリングくんを こどもの腕に乗せてやりました。

するとね、本当にいつも「あ”!ありおる!」と悲鳴のような声を上げてる年少さんが

「うふふ」と笑ってるんですよ~~。

くすぐったいねぇ、かわいいねぇとみんなで笑いながら

次々青虫を手の上にはわせて楽しみました。

 

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その横では、乳児さんが飼っている かたつむりが

水浴びをして元気になって這い回りはじめ

そちらも大人気♪

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こどもたち、ちょっと虫との距離が近くなってきたなぁ。

泥んこの後の絵本は

「すういのとんくにゃり」澤口たまみ・福知伸夫 福音館書店

「ブルくんかなちゃんあおむしくん」ふくざわゆみこ 福音館書店

「むんむんあついひ」こいでやすこ 福音館書店

「もじゃらんこどうしたの?」きしだえりこ ふるやかずほ 福音館書店

のむしむしシリーズを読みました。

 

この季節は「むしむしでんしゃ」 や 

「いもむしってね」 や 

「いもむしけむし」 や

「かまきりとしましまあおむし」 なんかも読まなくちゃね。

虫と仲良くなろう♪大作戦!

先週、こどもたちと
虫眼鏡をもって、いつも通っている段々畑に散歩に出かけてみた。

今年は「こどもたちと虫がもっとなかよくなれますように」
という願いを抱えて保育をしていこうと思っている。

...

そのためには 虫の魅力を伝えるのが一番だなと思った次第。
虫の魅力って何だろう?
それは、あなた、本当に千差万別だということでしょー!
そして、何でそんな形なのかねぇ~~~~~
何で、あなた、そんなきれいな色をそんな所につけてるの????
ということではなかろうか。

というわけで、それらの魅力を
教えられるのではなく、
自分で発見してこそ
「虫って案外かわいい??」の心の芽生えにつながるであろう。

では、ということで、
教具たんすの奥底深く眠っていた
百円ショップの虫眼鏡を出してきて
柄に穴を開け、紐を通し、いざ散歩へ~~~~!

そんでね、ここら辺りが保育の面白さなんだけど
こどもたちには、何をしようとしてるのか黙ったまま
虫メガネの絵の描いてある箱を出してきて
柄に穴を開けるのも、わざわざこどもたちのいる場所で
ろうそくと使わなくなった彫刻刀を使ってやるのです。
「え?ダンジョー何やりよるん?」と問われてもですね、
ふふふ とほほえむだけ。

虫眼鏡の絵の描いてある箱をリュックに入れる時も
わざと見せておいて 何も言わない。

で、散歩先の畦道で
コガネムシを捕まえたときに 初めて
背中のリュックから箱を出してくる
「あ!むしめがねじゃ!むしめがねで見るんじゃ!”」と
こどもたちは大興奮。

そして、
「自分で虫捕まえておいで~~~
 虫眼鏡貸したげるよ~~~~」と声をかける。

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もちろん、バッタやハナムグリやらを
自分で捕まえられる子ばかりではない。
でも、ありんこでも、てんとうむしでも、だんごむしでも
虫は虫。
だから、誰だって虫眼鏡で虫を見る事ができるのだ!

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そして、こどもたちには 蛙だって虫???だから
「ツチガエル~~~!」と持ってきた子もいたよ。

この日、どの子も虫眼鏡をのぞいて
「わ!きれい!」
「お!毛が生えとる!」と真剣だった。

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面白い散歩となっていきそうな予感♡

Twitterでいつも虫や動物の素敵な写真を見せて頂いている

もも (@momodog22)さん。

先日 蛙の観察会を開かれたあとでこんなtweetをされていた。

****
カエルや虫などの魅力を子供達に伝えるのに、

飼育された単体の生き物を見せるより、

実際に繁殖し育っている環境の中で

観察しながら見せるのが一番だと思う。

植物に川や田んぼ、

それらが作り出す風景と共に。

観察会ではカエルは見たことはあるが

自生している環境で見るのは初めてという方も多い。

***

青虫好きな私は

アゲハたちの幼虫を 何十匹も飼育ケースで育てるけど

それだけではダメなんだ。

こどもたちと 野山で虫をしっかり見ていこう!

人生の必然

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春は別れと出会いの季節。

4年あまり大切に大切に育ててきた子達が

巣立っていった。

なんか、不思議。

まだ実感がない。

 

いつだって別れは寂しい。

旅立つ人は、新しい場所での出会いが待っていると分かっているから

新しい自分に向かっての変化だから

良いなと思う。

 

保育園という場所は、通過施設だ。

どんどん入ってきて、どんどん去って行く。

保育士は、そこにとどまる。

とどまり続け、働きかけ続けるのが仕事だ。

こどもが育っていき、自分を言祝ぐのを見る幸せを味わい

その姿を目を細めて見ている保護者さんと共にある幸せを味わう。

それでも こどもたちは

私たちを必要としなくなり、巣立っていく。

そうなることが、保育の仕事の目的なんだから仕方ない。

 

一方、働く仲間もそうだ。

どんどん入ってきて、どんどん去って行く。

人が去って行くというのは、

うちの職場の労働条件が最悪なのも

私が人と一緒に働くのが苦手なのも原因だろうと思われるのだが

これまで10年たくさんの職員が入ってきて去って行った。

 

こどもにせよ、おとなにせよ

私の思いとは別の所で

人はやってきて 去って行く。

川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず である。

執着心の強い私は、長くそれで心をかきむしられてきた。

発達障害がゆえに?私は人が去って行くのを全て自分のせいにしてきた。

私が至らないから、人は私から去って行くのだと思えてしまうのだ。

私がもう少しましな人間だったら、人は私を捨てないだろうに…と。

なんで私を捨てるの?

なんで私から離れるの?

と、離れていく人たちに執着し続けていたのだと、

この頃ようやく気がついた。

 

そしてほんの少し そうでもないのかもしれない

私が至らないから去って行くわけではない。

ああ、もちろんそういう要素もあるかもしれないが

人が去るのはそれだけの理由ではないと思う様になってきた。

ましてや、捨てられた訳でもないのだと。

 

人は、やってきて去って行くものなのだ。

それは誰にとっても、同じなのだ。

私が至らぬ人間だからでもなく

私が保育園で働いているからでもなく

人はやって来て去って行くものなのだろうな。

やって来るのにも

去って行くのにも 必然的な理由があるのだ。

いや、理由は無く、必然があるだけなのかもしれない。

 

私が自分の人生をどうにかできるわけでもなし、

私が人の人生をどうにかできるわけがない。

ならば

自分の執着を早く捨て去る方が 気が楽だ。

別れと出会いを楽しむことができるほうが 人生楽しい。

 

少し前、私にとってとても大切な人が去って行った。

その人はちょっと傷ついてもいた。

私はずっと自分を責めてきた。

でも、その人は私が自分を責めることで胸を痛めていた。

「自分が去ることで、ダンジョーは自分を責めるだろう

でも自分は去るという道しか選べない」そうやって去って行った。

ならば

私は自分を責めないことで 

大切な人の胸を痛めずにすむのだ。

不思議な気持ちがする。

私が自分を責めないことで 人が幸せになる?

案外、これは たくさんの物事に当て嵌まるのかもしれないな。

保育は世界とつながっている

昨日、私の体を支えて下さっている療術院にて

2時間ぶっ続けの施術を受けた。
2時間続きというのは、

時々お願いするのだけど本当に劇的に体が変わる。
いつもは1時間コースだ。

体中に不都合を抱えている私は

さながらモグラ叩きをしているように次々と施術ポイントが出てくる。

なんだかなぁとも思うが、やっぱり
それにしてもこの1年半で、私はどんだけ体が楽になっただろう!

とつくづく思う。

指の腫れはなくなり、

扁桃腺で発熱しなくなり、

花粉症は影を潜め、

何より、眠れる様になった。

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一方で 知っている人の中でなかなか症状が改善しない人がいる。
で、先生となかなか体調が改善せん人と私と何が違うんだろうと話した。
もちろん、その人の元々の状態がいろいろだし、
環境やストレスも大きく痛みとは関係がある。
でも、他にも心当たりあるんだよね、ということで
「少しの変化を手放しで喜べるかどうか」が
治療効果の幅に影響するのかなとの、先生の言葉。


もちろん、それが原因!なわけではなく、
痛みが作られるのは、その人の体に不都合があるから。
その不都合に対して、先生は本当に真っ直ぐ
直球勝負で施術をしてくださる。

でも、その施術の頻度の割に、

変わりづらい人がおるんだよねぇ。
何となくなんじゃが、

変化を大喜びせん人は治りづらいような気がするという先生。


なかなか変わらない人は
「変わった!と思ったけど、

ここがまだ悪い。

まだこんなに悪い」と


マイナス思考なんだって。
なるほどなぁ。


それって保育・子育てにも通じる話です!と

意気投合してきた。

f:id:hidamariobaba:20150210204527j:plainそれから、
治った部分に注目できないと、

効果が実感出来ない分
焦って他にも何か良い方法はないかと探す。
結果かえって体の変化に疎くなる。
馬鹿正直に1つの施術に固執する必要は無いが、
自分のかすかな変化をしっかり認め、
その変化を大喜びし、
きっと他も変わっていくと期待を持って待つ。
それは、良い循環を産むことだろう。
それは保育・子育てと全く同じ論理だと思う。
なんだか、不思議に、大いに納得したのだった。

 

そしてね、これは病院にかかる時も同じだし

何かのお稽古に通う時も同じだねぇ。

モノを自分のものにしていこうとしていくときには

共通したものがあるのかもしれませんね。

 

あけましておめでとうございます。

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あけましておめでとうございます。

こどもたちと一緒に

歩いて 走って 跳んで

歌って 描いて 作って

食べて 眠って 

笑って 怒って 泣いて 仲直りして

この1年も そういう日々にしたいと思っています。

どうぞ ひだまり保育園とダンジョーを

本年もよろしくお願い申し上げます。

りきの話し2 20141229

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あはは またまた
馬鹿飼い主丸出しの 犬の話題で失礼します。
というか…なんといいますか…
りきのこと、ただただ可愛いというよりも
何だか 一人保育園の子が増えたような感覚なんです。...
どうしたもんかなぁ 
どうやったら この人とうまく関われるんかなぁと
試行錯誤の毎日です。

私は実家で数十年犬を飼ってきました。

いずれも捨てられていた犬を保護した 両親の友人から譲り受けたもので

成犬でわが家にやってきました。

けれど、父母が難しさを受け止めてくれていたのでしょう

成犬だからといって、そんなに難しかったと思っていませんでした。

が。

りきは、この よく言えばやんちゃな性格のため

「ほんま面倒くさいわ」と捨てられたのかなぁと思います。

それほど、人なつこく、思った事は一直線なんです。

興奮すると 普段分かることでも聞かなくなってしまい

う=ん悪く言うと 面倒くさいんです。

でも、りきに悪気は無いことはよく分かる。

だから、辛抱強く教え続け、理解して教え続けないといけない。

その辺が、可愛いだけ というより

少し難しさを抱えた子を受け入れた感覚なのかもしれません。

 

でも、

りきは、どうやら自分の要望で散歩にいけないこと
外に出ていても、玄関に鍵がかかっていたら
そうそう出てきてはくれないこと
吠えても餌は次々でてこないこと
などを 覚えてくれた模様。
良かったぁ~~

それから夜とか寂しくて吠えて呼ぶということをなくすために
園の保護者さんのアドバイスで
私の匂いのするものを 与えておくことに。
下駄箱を開けてまで私の靴を出すこと
私の服だけ かじかじ囓ろうとすること などを考慮し
もうはかなくなった私の靴をあげました。

すると!おお!夜ず~~~~っと静か!
今も6時だ朝ご飯だ!と吠えた後
7分搗き米+キャベツ+煮干し+ドッグフード+牛乳という餌を食べたら
再び自分の小屋の中へ静かに戻りました。
あ、でも、私の靴は小屋の外に転がっとるわ。

わが家に来て10日を迎え、
ようやく慣れてきたのかな。
あとは、散歩したい病が軽くなるといいなぁ。

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