ひだまり泥んこ日記*2巻

ヒロシマ安藝地方 矢野という地で里山を駆けまわり泥んこにまみれる保育園の園長戯れ言ブログ 1巻はYahoo!で継続中

保育は世界とつながっている

昨日、私の体を支えて下さっている療術院にて

2時間ぶっ続けの施術を受けた。
2時間続きというのは、

時々お願いするのだけど本当に劇的に体が変わる。
いつもは1時間コースだ。

体中に不都合を抱えている私は

さながらモグラ叩きをしているように次々と施術ポイントが出てくる。

なんだかなぁとも思うが、やっぱり
それにしてもこの1年半で、私はどんだけ体が楽になっただろう!

とつくづく思う。

指の腫れはなくなり、

扁桃腺で発熱しなくなり、

花粉症は影を潜め、

何より、眠れる様になった。

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一方で 知っている人の中でなかなか症状が改善しない人がいる。
で、先生となかなか体調が改善せん人と私と何が違うんだろうと話した。
もちろん、その人の元々の状態がいろいろだし、
環境やストレスも大きく痛みとは関係がある。
でも、他にも心当たりあるんだよね、ということで
「少しの変化を手放しで喜べるかどうか」が
治療効果の幅に影響するのかなとの、先生の言葉。


もちろん、それが原因!なわけではなく、
痛みが作られるのは、その人の体に不都合があるから。
その不都合に対して、先生は本当に真っ直ぐ
直球勝負で施術をしてくださる。

でも、その施術の頻度の割に、

変わりづらい人がおるんだよねぇ。
何となくなんじゃが、

変化を大喜びせん人は治りづらいような気がするという先生。


なかなか変わらない人は
「変わった!と思ったけど、

ここがまだ悪い。

まだこんなに悪い」と


マイナス思考なんだって。
なるほどなぁ。


それって保育・子育てにも通じる話です!と

意気投合してきた。

f:id:hidamariobaba:20150210204527j:plainそれから、
治った部分に注目できないと、

効果が実感出来ない分
焦って他にも何か良い方法はないかと探す。
結果かえって体の変化に疎くなる。
馬鹿正直に1つの施術に固執する必要は無いが、
自分のかすかな変化をしっかり認め、
その変化を大喜びし、
きっと他も変わっていくと期待を持って待つ。
それは、良い循環を産むことだろう。
それは保育・子育てと全く同じ論理だと思う。
なんだか、不思議に、大いに納得したのだった。

 

そしてね、これは病院にかかる時も同じだし

何かのお稽古に通う時も同じだねぇ。

モノを自分のものにしていこうとしていくときには

共通したものがあるのかもしれませんね。