ひだまり泥んこ日記*2巻

ヒロシマ安藝地方 矢野という地で里山を駆けまわり泥んこにまみれる保育園の園長戯れ言ブログ 1巻はYahoo!で継続中

りき の話し 20141223

思う事が色々あり、長い文を書きます。お許し下さい。
ペットショップには何十万もする犬猫が売られている一方で
今日も どこかの動物愛護センターでは
生きている命が 殺処分 されています。
そのまま 生きることができる 元気な命が
人間の都合で 殺され続けている…。
その事を 肌で感じている数日です。

わが家の犬 「りき」

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福山の町の中で首輪をしたまま放浪していたところを保護され、
動物愛護センターで ほぼ1ヶ月過ごしました。
殺処分寸前だけど、
成犬だから引き取り手が見つからなかった りき。
縁があり、わが家の一員になりました。

園の改築を一手に引き受けて下さっている方のFacebook
愛護活動されている方の記事を見ました。
とにかく毛の生えた動物が大好きな私、
普段から毛をなでたい欲望にとらわれている私は、
ここ数ヶ月「毛をなでたい禁断症状」に苦しんでいました。
だから 殺処分されるこたちの画像なんか見たら
苦しくてたまらなくなるから逃げてたんですが…。

その日は私の誕生日でした。
織田信長は「人生僅か五十年」と詠うたそうですが、
その節目の朝でありました。

よし、私がこの子と暮らそう。そう決意。

連絡をとりながら1ヶ月あまり…。
その時みた動画の犬は 他所に引き取られ
二転三転して、
私と結ばれていたのは

実は りき だったと判明した次第です。

 

土曜日に福山のセンターに引き取りに行き、
センターの中も垣間見せて頂きました。
何匹もの犬が 冷たいコンクリートの上で
マット1枚あてがわれ
糞も時間にならないと掃除してもらえず
じっと身をすくめていました。
そこで 彼らは
ただじっと、ただじっとしていました。

愛情を持って育てられた子は
人の愛を知っている分、
とまどいも大きく、失望も大きいように感じました。
一昨日までは元気に走り寄っていたという犬は
もう震えながら 近づいてこようともしませんでした。
殺されるのか?それを本能で分かるのかな…。
足下から冷えてきたのは、
暖房がなかったからだけではないように思います。

 

そこから抜け出した りき です。

 

わが家に来て その日の夕方から夜に描けて
多分4日分に相当する量を食べ、
食べても食べてもまだ足りず、
まだ欲しい まだ欲しいと 騒ぎ続け
常時 さすっていてくれ と甘えなき
片時も離れることができません。

さりとて もう随分大きな成犬なので
6畳3間の家の中をうろうろさせれば
台所の流しに 足をかけ鼻を突っ込んで食器を落とし
ガスコンロに 足をかけて鍋を引き寄せ
ゴミ箱に上半身をつっこんで しまうため
仕方なく 玄関につなぎ止めることに。

でも寂しい寂しい 不安だ不安だと泣き続けるため
一晩中 体をくっつけて眠りました。

翌、日曜日。
玄関前にプラ製の犬小屋を置いて
3時間ほど外で過ごしてみました。
私が家の中にいるのは分かっているけど…という感じ。
散歩先では、何度も下痢をしました。
そりゃそうです。
あんなに食べたんだもの。
でも下痢もしんどいよね…と思うけど、
お腹が減って お腹が減ってたまらなかった
その不安を消していくためには
どれだけでも食べられるんよ という経験をさせるほうが良いかなと
あえて食べさせ続けました。

夜は、1時と4時半に
キュンキュンワンワン なきはじめ
そこら中をがりがり掻くので おしっこをしに外へ。

こんな風に毎晩起きて しっこさせるのは辛いなぁ
この寒い中外で寝かせるのも 
あの冷蔵庫のような保護センターを思い出させるからいやだなぁ
でも私が倒れちゃ 本末転倒だしなあ
そう悩んで 月曜日を迎えました。

朝、たっぷり食べた後
宿六と息子と 散歩をしてから外につなぎました。
私が目の前をちらちらするのに
自分の所に来てくれないと ないていましたが、
「大丈夫よ おるじゃろ、寂しうないじゃろ」と
何度も声をかけて。

30分ほどして登園・出勤がピークを迎えました。
りき の前を こどもたちが登園していきます。
みんなから なでて貰い、
わほわほと 大喜び。
「フレンドリーですねぇ」
「かわいいですねぇ」
「うちの子、泣いちゃいました」
園のみなさんにも受け入れて頂いた?模様です。

1時間ほどして、人の波が過ぎると
りきは 自分の小屋の中で 寝始めた模様です。
それでも 配達の人や
遅れて登園する子達がいて、
みんなりきに声をかけてくれます。
一旦仕事から戻った宿六に昼過ぎ もう一度散歩をねだり、
静かに昼寝。
えさ入れの中を がっついて空にすることもなくなりました。

夜になり 私と息子、宿六と順番に帰宅。
「ご飯!ご飯!早く!もっと!」と大騒ぎしたあとは
「散歩!散歩!早く!いっぱい!」と大騒ぎ。
どうやら、宿六を 散歩係と認定したようで
彼の顔を見ながら ワンワンワンワン訴えていました。
私が力一杯抱きしめて 
「りき、興奮しすぎになっとるよ」と話すと
静かになって 私から目をそらしておとなしくなり、
それでも 宿六をみながらなきはじめたので
ああ、散歩に行こうって誘ってるんだと判明。

食べて歩いて帰ったら、
さっきまでの大騒ぎがうそのように 静かに小屋の中へ。
不安な子には 安心できる定位置が必要 という
保育の鉄則に従って、
プラ製の犬小屋は軽いので、
りきが玄関に入れば 小屋も玄関へ移動するというわけです。

りき、夕べは 一度もなきませんでした。
ここでは ちゃんと食べられて
散歩にも連れて行ってもらえて
色んな人が かわいいね ってなでてくれる
そういう場所なんだと 分かってくれた様です。
そして朝、私がこの文章をパソコンで打っている
私が起きているのは 当然感じているはずです。
だってカーテン1枚しか分かれてないんです。
でも、まだジッとしてる。
自分に声がかかるまでは 寝ていることができる様です。

りき、本当に良い子です。
こうして色々分かっていく様子をみるに賢いと思います。
愛情を持って ちゃんと躾けられたんだと分かります。
あんなに暴れたり、飛びついて甘えたりしたのは
寂しすぎて
怖すぎたんだと思うのです。

ああ、この国で 人間の都合で殺される動物がいなくなるように、
心の底から願います。
私が出来る事は、
たった1匹の犬を あの冷蔵庫のような場所から連れ出すことだけ?
違うよね、
こうして 私がりきとの生活で感じたことを
書いていくことで 誰かに伝わるかもしれないもの。
りきが 教えてくれること
時折 こうして書いていきたいと 思います。

小沢正さんの児童小説「目を覚ませトラゴロウ」というお話しに
こんな詩があるのです。
****
ある朝 目を覚ますと 街が変わっている
サーカスからも 動物園からも 檻がなくなっている
そして 動物たちが通りを歩いている
だけど 町の人はみんな平気な顔をしてるんだ

動物たちが町を歩くのは ずっとずっと昔から
当たり前のことだった とでもいうように
平気な顔で 動物たちと一緒に歩いているんだ

そんな日が早く来るといいな 本当に早く来るといいな
ああ そんな日が来るといいな 早く早く来るといいな
***

長文失礼いたしました。

寒いの好き?

おはようございます。

温暖の地 広島安藝地方も がっつり冬になりました。

寒いです。

いや、雪が降る地方の方々に言わせたら

「ぶち温(ぬく)いじゃんか!」という程度なんだとは承知しておりますが

当方、温暖の地で甘やかされて育った身にありまして、

こういう気温は 「ぶち寒い」のであります。

そんでもって、保育で山を歩き回る時は 動いてるからそうでもないのですが、

朝はイヤだ。布団から出たくない。

温暖の地では、家も防寒対策がほとんどなされていません。

そのため、「さらに ぶち寒い」わけです。

 

でも、でも、

冬になると楽しいことが 一つだけあります。

 

それはね保育園で毎日やる「焚き火」であります。

焚き火の薪は、こどもたちが山で落ちてる枝や倒木を

風呂敷に包んで背負って帰るんです。

私も竹かごに入れ背負って帰ります。

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この日は 薪の量が少ないね。

でも、火を囲んで こどもたちとくだらない話しをするのが楽しい。

いやぁ、趣味と実益の合致って幸せ。

 

病を嫌がらない力

私は全く野球に興味がない。

が、息子と宿六は野球に夢中。

日本では野球はこよなく愛されていて、野球に興味が無いというのは何とはなしに肩身が狭いことがある。

ましてやそれが自宅の中であると…。

よってただひたすらに「早くストーブリーグになれ!」と祈るのみだ。

 

さて、そんな私でもあれだけ毎日野球用語を傍で語られれば

いくつかなりとは覚えてきた。

えっと…先発でしょ、中継ぎでしょ、ストッパー。

どう?ピッチャーの役割のことでしょ、これ。

えっへん。でも「チェンジアップ」の意味を多分50回は聞いたけど全く覚えられんのは、想像の出来ないことだからだな。

そんで、今日は「ストッパー」のお話し。

 

ストッパーといっても、野球の中の役割ではなく

体に働くストッパー。私はこの頃リミッターとも言っている。

こどもも、私たち大人も、体の中にこのストッパーがある。

「もう、無理でっせ。やめときなはれ」と言ってくれるものだ。

あ、なんだか関西の言葉で書いてしもうたね。

やはり私のストッパーは「はぁ 無理じゃろうが、止めとけや」と広島弁で言うでありませう。

私は長らくこのストッパーは「扁桃腺炎」という形で発症していました。

疲れてくると喉が腫れぼったくなってくる。

唾を呑むのが大儀くなってきて、声がなんか変になるとそろそろ危ない。

パッカ~~~~ンと見事に40℃発熱という具合。

 

しかし、ここ数年、あんまり扁桃腺が腫れなくなってしまった。

ということは、ストッパーがないので、どんどん走り続けてしまうのだ。

だから頭皮がむくみ(肩こりがひどくなってしまい、頭に上がった血が下がらなくなってしまった)、体が冷え切り、腸が動かなくなって腸捻転一歩手前までいく=お腹の中がこむら返り起こしてしまう、指が腫れ関節を曲げられなくなる、寝ていると足に血が行かず朝一番は歩くのが痛い、朝食を作り始めると手が思い切り痒くなる(痺れが切れるため)、花粉症は激化し2月から6月までアレグラを1日も欠かすことができない…等々。

最悪の体調だ。

そして、ついに、私は自分にぴったりの施術に出会った。

イトオテルミーという温灸療法

一般財団法人 イトオテルミー親友会 | 公式WEBサイト

と、独自の指圧をされる先生で、本当に本当にゴッドハンド。

非常にデリケートな私の体は、ちょっとやそっとの人に押されると

あっという間にそのために骨がずれてしまい、吐き気を催してしまう。

出張研修先で疲れてホテルで斡旋するマッサージを頼んで

そのまま体調を崩し、翌日の研修はほとんど上の空だったこともある。

だから、その先生に初めて見て貰ったとき

なんと背中に乗られても 何ともない自分に驚いた。

それほど先生の施術は 私の体を安心させるものだった。

それからというもの、毎週1~2回通い続けている。

働くために通っているのか、

通うために働くのか最早分からないほどだが、

薄皮を剥ぐように、少しずつ私の体調は回復してきた。

冷えがとれ、

肩が上がるようになり、

指の腫れが全くなくなり、

お腹がつらないようになり、

何より「眠れるようになった」。

これだ。

私は40年近く「寝て回復する」という意味が分からなかった。

何でみんな 寝て元気になるなんて言うのだろう?

寝たからといって、何も変わらない…

いや、時には寝た方が体しんどくなるじゃん と思っていた。

でもね、本当に寝ると元気が戻るんじゃねぇ~

通い始めた頃は一晩に4回くらい起きてたかなぁ。

今ではぐっすり全く目が覚めない。

何かでちょろっと目が覚めても、瞼さえ閉じればすぐ夢の中。

寝ると、体力は戻るんだねぇ。

 

というように、元気になってくると働き始めたのが

冒頭に書いた「ストッパー」だ。

夏以来、ちょっと考えられないような日々が続いていた。

週末にも必ず用事が入り、全くゆっくり出来ない。

いや、2月に1度くらいはあったけど、それでも体を休めるほどにはならなかった。

運動会が終わった頃から「危ないなぁ」という感じはあった。

「体がしんどいって言いよるなぁ」

「これ、限界超えてきたなぁ」と思うのだ。

だって、全く頭が働かない。仕事の効率は最悪。

普段できる書き物がほとんど進まない。

 

で、見事に風邪をひいた。

咳と頭痛、僅かな発熱。

でもおかげで眠りに眠り、体は元の状態に戻ろうとしている。

病を得ないと分からない…いや、

病を得ないと見て見ぬふりをすることが多すぎるのだろう。

 

病は歓迎すべきモノではないが、

病を疎んじてはならないのだ…と大変甘ちゃんであるかも知れぬが

私はそう思う。

病院と縁が切れない人生だったが、

50代に突入し、病院に行かなくてすむ人生を目指すのだ。

誕生日に風邪をひいたのは それなりに意味あることだろう。

天の示唆はいつだって ささやかな声だ。

その声を聞き逃さぬ力をもっていたい。

 

多忙なのか?時間管理が下手なのか?

今週は、

・矢野交流プラザ展示

・安佐南の公立園でのリズム伝道

・安芸区厚生部の親子教室

・がんぼリズム

・個人懇談の予定立て

・県合研発表のレポート仕上げ

・〃持参する作品のチョイスと仕上げ

・〃販売する冊子の執筆と印刷製本

・〃レポート発表とバザー販売

・〃翌日にある総括会議のためのまとめ(担任クラスと園全体)

・来週末に行う感覚統合講座のレジュメ、パワポ

・新居に使う流し台をもらいに行く

などを行わなくてはならないという恐怖の一週間です。

果たして生き残れるか?いや、比喩ではなく…って感じ。

 

考えるだけで逃げ出したくて、

やらなくてはならないこと全部手が止まるという状態。

どうしよう…やるしかないんだけどね…。

 

人生で大事なモノは変わるのか?

ひだまりを始めるとき、数人の仲間と集った。

園の名前は投票で決めた。

場所は うちのばあちゃん家だということは決まっていた。

保育料は、前の園の会計を一手に引き受けていた友と相談して決めた。

そうやって一つずつ考えていった中で

頼りになる友人がいた。

何を頼っていたかを明記すると個人が特定されてしまうので

ちょっと書けないんだけど、

彼女がいてくれて、本当に開園から3年、本当に助かっていた。

 

彼女には 離れた地で暮らすお父さんとお母さんがおられた。

お母さんが亡くなって、お父さんの認知症が進んでいった。

一人で暮らし始めたお父さんを、そのままにはできない。

デイケアやその他の施設に預けるには 金がかかる。

そして 彼女は ネズミ講に手を出してしまった。

何やら補整下着とか、化粧品とかを

周囲の人たちに売り始めた。

 

元々地味で、自分を飾るお金を使うくらいなら

こどもたちに美味しいモノを食べさせてやろう、そんな人だったのに

あっという間に 水商売のお姉さんのような服装になっていった。

けばい化粧、ピンヒール。

ほんの1年前までは ベタ靴はいて割烹着きて

近所の子達に 肉じゃがを食べさせていたのに。

なんか悲しくなった。

いや、水商売の人がわるいんじゃない

仕事でそういうことするのは 立派だと思う。

私がイヤなのは、彼女がそういう服装で人を騙していることだった。

そんなこと絶対に許さない私には勧誘をかけず、

断るのが苦手な友ばかりを誘っていたことも腹が立った。

そんなに商品に自信があるなら うちにも売ってみろ!と思った。

 

当然、行き来がなくなっていった。

娘が高校に合格した朝には電話がかかってきた。

何事かと思ったけど、良かったなぁって本当に思った。

でも、彼女との会話はそれが最後となった。

 

PTAで出来たつながりも

近所も何もかも、全てのつながりを「騙す相手」とした彼女は

知人に多大な借金をしたまま

ある日いなくなった。

3人のこどもは、父さんと暮らしている。

その家を建てるとき、彼女がどんなに考えて悩んで

一つ一つの壁紙を選んだか知っているから

その家を出てまで 彼女がやりたかったことって何だろうと思う。

じいちゃんを安心して預けるために始めたんじゃなかったん?

家族の暮らしを壊さずに じいちゃんを守るためじゃなかったん?

 

お金って、ないと困る。

わが家もお金がなくて本当に困っている。

でもなぁ。

お金は大事なモノを見えなくしてしまうんだよなぁ。

きれい事を言うつもりはないけどさ、

人を騙して手に入れたお金は身を滅ぼすんだなぁって思う。

彼女にもらった書類たちを見る度

心の中に苦い味が広がる。

 

夢の中で彼が私に話し、私が目覚めて思うたことども。

先日担任している子の夢を見た。
まぁ、夢で仕事をするのはいつものことなんだけど、
この日の夢については よくよく考えさせられた。
その子は 障害を持っていて、まぁ、軽いとはいえない障害で、
まだ私たちが使っている日本語は あんまり話せない。
「あい」とか「ママ」とか「ババ」とか「いや」とかは言うんだけど、
基本的には「アー!」「バー!」「イー!」といった音で受け答えし、
手話も少しずつ使っているというコミュニケーション方法。
 
その日の夢では、私が話しかけると、彼が突然当たり前に
「ダンジョー、俺、こっちやるけ、ダンジョーはそっちに行っといて」と言ったのだ。
「ふんふん」と返事して行きかけて、仰天した夢の中の私。
その後、夢の中の彼は当たり前に話し続けた。
夢の中で興奮しまくった私は、夢から覚めてもその興奮をひきずっていた。
 
さて。
私はさして彼に「言葉を使って欲しい」なんて思っていないはずだ。
彼の言葉を、彼自身の手で紡いでいって欲しいし、
彼と私たちと共通する言葉が増えたら良いとは、切に思っている。
だが、
日本語を喋って欲しいとは 思っていないはずだ。
いや、はずだった。
でも、私の潜在意識は、彼の日本語を待ち望んでいるのだろう。
彼と日々笑い、けんかし、仲直りし、一緒に歩き、一緒に眠り、
一緒に食事し、一緒にリズムし、一緒に歌い、そうやって暮らしていて、
やはり、私は彼と話しがしたいのだなぁ。
そして、若かった頃には考えられないけれど、
私は、そう願ってしまう自分も、まぁそうなんだろうなぁと受け止めている。
ないものねだり とか
当たり前の希望 とか
そういうのではなく、ただ、やっぱり話したいんだなぁっていう素朴な思いは
やっぱり持っても当たり前だなぁと思うんだ。
その上で、私は夢の中の彼の声を
現実に一緒に暮らす彼に押しつけて求めることはやめよう。
また、いつの日か、夢の中で会話することもあるかもねと思いつつ
現実で一緒に暮らすことを楽しもう。
 
夢の中の会話の話しでした。

自制の力

体調がくだると、とたんに保育が粗くなる。
こどもの行動をよく見極めることができず、
○○したいんじゃろ!と勝手に決めつけてしまう。
そうじゃない…とこどもの目が訴えるのを見つけても
見なかさて。今日は?
ったことにしてしまいがち。
でも、その時が 分かれ目。
その目に気づいたとき、全身の力をこめて 自分を止めるかどうか。
そうだ、そっちへ行ってはいけないと 自分を止められるかどうか。
重い障害を持つ子達は とても正直。
その自制の力が弱くなっている私を見透かす。
さて。今日は?